当時は現在とは別の場所にありました。陸軍・海軍・鉄道省など公の仕事を中心に引き受けていました。
十字穴付きねじは、後の高度経済成長期の生産性を支えるに、なくてはならない部品になります。
このころ政府要請でタッピンネジの国産化に成功。
当時の社名は㈱山科精工所でした。このころは、日本の部品製造の標準化は現在の比にあらず、極めて画期的なことでした。当時の通商産業大臣は後の内閣総理大臣である故大平正芳氏でした。
当社はTiger(タイガー)のニックネームでブランド化されていました。
京都でお客様はもとより、行政から高僧にいたるまで、内外の関係者の皆様に感謝の意を表すため開かれました。
右側にかかる垂れ幕は、受賞時に工場視察に訪れた当時の通商産業大臣 大平正芳氏のご来社を歓迎したもの。
北側から撮影した航空写真。手前には当時の象徴である東海道新幹線が走っています。このころは、野球用のグラウンドやテニスコートも敷地内に整備されていました。(現在はこの部分は売却されている。) また現在は、北側(新幹線側)に工場が一棟増設されています。(右上の敷地は、一時ボーリング場であったが、現在は売却済。)
発生する油煙を設備から完全に排出するダクトが設けられていました。
緩みに強く、現在も非常に多くの数量が、自動車関連メーカーを中心に使用されています。
軽いねじ込み性が特徴で、現在も非常に多くの数量が、自動車関連メーカーを中心に使用されています。
同社から送られた、ヤマシナが所属していた日本ファスナー研究所の20周年を賞する書状。日本ファスナー研究所は現在の日本でタッピンファスナーの代名詞であるタップタイト®を技術輸入した組織。当時、日本でも有数のファスナーメーカーがこの組織に参加しました。ヤマシナは1968年にタップタイト®の製造販売のライセンスを取得しました。(現在に至る。)
ユーザー様から、ものづくりの総コスト低減に寄与すると好評。
今後のヤマシナの戦略技術商品。
製造設備の稼働状況の把握、非稼働理由の分析など、生産性と品質向上に寄与しています。またこのシステムを「工場守」と命名し、 製造業専用IoTシステムとしてPR活動も実施しています。
利用が進むと思われる超ハイテン材にタッピン締結が可能。ものづくりの軽量化に貢献します。